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昭和41年に島根県より津島市に就職以来、バレーボール・相撲・駅伝等色々なスポーツ活動をしていましたが、今の団地に引っ越して、永宝クラブに入り、現在に至っています。(途中少年野球の指導にて7年間休部)でも、記録活動でチ-ムの試合に出ることは年に1回あるかどうか?ソフトボ-ルも各地域にて、チーム数・部員数が減り活動が大変となっています。少しでも若い人の記録員・審判員の取得を支援出来るよう努力したいと思います。私事ですが平成24年に家内を亡くしボケ防止の為に、クイズ・囲碁・ゲーム等を楽しんでいます。体力の続く限り、記録活動には出かけたいと思っています。 | |
尾張記録委員会副委員長 安田 秋雄 さん ☆ソフトボール履歴 昭和51年 津島市 永宝クラブ入部 |
大口町ソフトボ-ル協会は、昭和52年に企業チ-ムが主体でが設立されました。その後、地域で協会に加入するチ-ムが増え、我が地域でも昭和55年8月に前田ソフトクラブを結成し、翌年協会に加入しました。チ-ムは、もっぱらバ-べキュ-で親睦を図ることが目的で試合数を上回っていました。このような状況でしたが、一時期は一部に在籍していました。しかし、近年は会員数が減り昨年は隣の地域と合併しチ-ムの存続を図りました。個人的には、昨年4月に大きな手術をしたことにより体力や体重が大幅に減少してしまい現在でも回復していません。当然、ソフトボ-ルはもとより運動がままになりませんが、少しでも体力が回復するよう頑張っています。協会では平成21年に日本女子ソフトボ-ルリ-グ2部大会を誘致し22・24・25・27年、そして今年も5月に開催します。一流選手のプレ-を間近で見られ、観客の皆様を魅了すると期待していますので、ぜひ大口町へ足を運んで下さい。 | |
愛知県ソフトボール協会 尾張支部(尾北担当) 理事 渡辺 弘和 さん ☆ソフトボール履歴 昭和55年8月 前田ソフトクラブに加入
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尾張旭市大塚町に引っ越ししてきた当時は、新興住宅地で5町があり、それぞれチ-ムを結成して、春・秋とリ-グ戦を行い楽しんでいました。平成4年の時に、チ-ムの先輩に審判員の資格を取得してみないかと誘いを受け、資格を取り、審判用具一式購入(当時8万円位でそのお金はへそくりで貯めた)し、審判活動を始める事になり、反省会をしながら、審判員の良・否等を肴にして一杯が楽しみでした。そんな時、連盟の仕事を手伝うようになり、二足の草鞋を履く事になりました。それに伴い、東尾張・全尾張関係と仕事が増えて現在に至っています。最近は少子高齢化の余波で、尾張旭市では子供会のソフトボ-ル大会もなくなり、又、審判員として加入する者も少なくなって、審判員の平均年齢が70歳近く迄になって居ります。先行きは難しい事とは思いますが、ソフトボ-ルの楽しさ、面白さを会う人ごとに、伝え広めていきたいと考えています。 | |
愛知県ソフトボール協会 尾張支部(東尾張担当) 理事 前田 度 さん ☆ソフトボール履歴 昭和52年 大塚ソフトクラブ加入
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第40回は小学生女子チーム 東郷ジュニアガールズ監督 池内隆滋 さんです。 東郷ジュニアガールズ池内です。創部以来初めての県大会優勝 全国大会出場を果たし、監督就任3年目でこの様な結果を残せたのには、大変驚いています。、これはひとえに愛知県ソフトボール協会の皆様方 尾張ソフトボール支部の皆様方、東郷町ソフトボール協会の皆様方、各チーム代表監督の皆様方、ご父兄方の御指導・協力・助言あっての賜物と心よりお礼申し上げます。 Q1.初の全国大会出場は大会三位となる大阪松原に惜敗でしたが、県大会と全国大会で試合を迎えるにあたり何か大きな違いはありましたか? A1.悲願であった県大会優勝を成し遂げ喜んでいたのも束の間、短期間のうちに目標が「全国大会優勝!」になっていた事に戸惑いモチベーションが揚がらない時期が有りました。愛知県代表としての心構え、大会の重要性を選手達と話し合い、スタッフ・ご父兄方が、宿の手配 |
から昼食の手配、洗濯、練習会場の手配等していただいていることが選手一人ひとりに伝わり、”チーム一丸”形成されていったように思います。また、2泊以上の宿泊をして公式試合を行うことが初めてでしたので、夜は9時消灯 朝5時起床を守って貰い、寝不足による炎天下での体調不良の回避、選手達の修学旅行の気分で楽しくて仕方ない雰囲気を落ち着かせるようにしました。とにかく、監督(私)が大雑把な性格なのでスタッフ、ご父兄方が先、先を読んで対応した頂き、選手一人ひとりの顔色まで気にかけていただき大変助かりました。体調不良者、ケガ人も無く、無事に帰って来る事が出来ました事に心からお礼申しあげます。 |
結婚を期に分家として奥田に引っ越した年に体育振興会の勧めによって出来た町内会のチ-ムに参加したのがソフトボ-ルとの付き合いの始まりです。 軟式野球からの転向で偶然にもソフトボ-ルと波長が合ったのか最初の10年位はユニフォームが3着ありました。(町内会、クラブ、稲沢市)子供が小さい時は、土曜日に家庭サ-ビス、日曜日はソフトボ-ル中心にし、たまに子連れの時もありました。50歳になった頃から、体力の衰えと共に年相応の人達と試合をするようになり、又、町内会では、事務局に入り振興会の各チ-ムをまとめる立場を頂く様になりました。5年過ぎた頃、前理事の推薦もあって、ソフトボ-ル協会の理事をさせて頂く事になり、又、同時に尾張の理事もやらないかと言う訳で現在に至ってます。 ある尾張の大会で雨模様の日審判の方が「吉田さんが中止と言えば中止になるんですよ」と言われ、「責任ある立場だな」と、改めて襟を正した思いであります。これからも、初心を忘れず(選手の為の理事である様)家族に感謝して、役員、そして大好きなソフトボ-ルを続けたいと思います。 |
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愛知県ソフトボール協会 尾張支部(稲沢担当)理事 吉田 五郎 さん ☆ソフトボール履歴 昭和57年 町内ソフト加入 昭和58年 里西クラブ加入 現在に至る 昭和59年 稲沢選抜加入 平成 6年 稲沢壮年加入 平成16年 稲沢シルバ-加入 平成22年 愛知県ソフトボ-ル協会評議員 全尾張ソフトボ-ル連絡協議会理事 平成26年 稲沢ゴ-ルド加入 現在に至る
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